なんてことのない話

私には父親がいない。

いないといっても、物心ついてからの離婚や別居や単身赴任等ではなく、始めからいない。

理由は知らない。
母親を問い詰めて確認するのも面倒だし、
そもそも気にならない。

「何で私にはお父さんがいないの?」

気になって仕方が無い時もあった。
しかし、それも他人に何故と言われるがあまり気になっただけで、自分で気にしたことは本当に無かった。


一番面倒くさいのは、
「お父さんは何してるの?」といった質問だ。

何してるの?といっても責める訳ではなく、
私の身の上を確認しようとしての事だ。

聞かれてから、
「いない」と答えるまではいい。

その後の「えっ…なんかごめんね…」と謝られた時の気まずい空気がこの世で一番嫌いだ。

なぜなら、謝られる理由が分からない。
父親がいなくて不幸せ、と感じたことが本当に一度も無いからである。

何で謝るの?
可哀想だと思うから?
同情してるから?





「父親」という存在を知ったのは、友達と家族ぐるみでキャンプに行った時だ。

うろ覚えだが、友達家族が全部で四組程。
私と母は、もちろん二人。

特に仲の良かった友達家族の父親はとても面倒見が良く、友達の事はもちろん私のこともよく可愛がってくれた。可愛がるだけでなく叱ってもくれる、良い父親だった。


隠れんぼをしていた。
友達の父親がどこかに隠れてしまい、
友達と二人で探すことになった。

「おじちゃ~ん」
「〇〇ちゃんのおじちゃ~ん」

私はおじちゃん、と呼び続けていた。
しかし隣で友達がお父さんお父さん、とあまりに呼ぶもんだから、私も呼びたくなってきてしまった。

「おとうさん」
小さな声で、呟いてみた。

「おとうさ~ん」
今度はもっとお腹から声を出すように、
聞こえるように、呼んでみた。


その時、私の目の前のドアが開き、
中からおじちゃんが出てきた。
その瞬間ニッ、と金歯を輝かせて笑ったおじちゃんの顔を、未だに忘れられない。

その後すぐにおじちゃんを見つけた友達は、
顔をパッと明るくさせて駆け寄っていった。

駆け寄ってきた我が子を抱きかかえて
「たかい、たかい」をするおじちゃんの顔は
本当に幸せそうで、そこには父親と子供、二人だけの時間があった。私だけがスポットライトを浴びることなく、どこか取り残されてしまっているような気がした。

今思えば、「父親」という存在と、父親と子どもの関係性をこの時初めて認知したのかもしれない。



漫画「NARUTO」に出てくるサスケという少年の台詞の中に、このようなものがある。

「両親のいないお前に俺の気持ちなんて分かる訳ない!大事なものを途中で失う辛さなんて分かる訳がない」

と。

確かに、と思った。

両親が離婚や別居や死別してしまった時、残された側の子供たちの気持ちはどこに向かえばいいのだろう。何らかの形で気持ちの整理をつけてはいるのだろう。しかし、一歩外側の他者、両親が居る家庭からみると自分と比べて「可哀想」とやはり思ってしまう。


だからといって、
甘やかしていいのだろうか。


仕方ない、と言って比べられた事がある。
言った人はもちろん私の身の上は知らなかったし、他意は無かったからしょうがないけれど、胸に深く刺さったまま未だに抜けない。

「あいつの家、離婚して父親おらへんくて、そんで三人兄妹の一番上で、母親がヒステリー持ちで、そのせいで年上の男に甘えてしまうっていうか。やから許してやって。」

詳しく覚えてはいないが、
こんな感じの言い方だったと思う。



生まれた時から父親がいなくて、
一人っ子だから兄妹もいなくて、
母親は仕事をしてくれていたから、
ずっと祖母と祖父が面倒見てくれていて。

友達は男女関係なくそれなりにいたけど、恋愛となると男の人はちょっと怖くて深入りしたくなくて、恋愛沙汰では何度も失敗していて。

そんな私にようやく出来た、初めて一緒にいて緊張せずにご飯を美味しく食べる事が出来た、大事な人。


その人を挟んで比べられた事は、
未だにちょっとトラウマ‥‥

そういう考え方を持った人もいる、
って割り切るべきですね。